予想問題・社会

歴史 近代の予想問題5問——条約と改革の中身を1問ずつ解説

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近代(開国〜明治)は中2・中3で習う社会(歴史)の単元で、開国と不平等条約、明治維新の改革、自由民権運動と大日本帝国憲法、日清・日露戦争と条約改正が問われます(回ごとの範囲は → テスト範囲)。似た名前の条約を取りちがえたり、改革のねらいを説明する問題で基準や理由を書き落としたりして点を落としやすい単元です。日米修好通商条約・地租改正・大日本帝国憲法・三国干渉・ポーツマス条約の5問にしぼり、1問ずつ解説しました。

この5問でおさえるポイント
  • 日米修好通商条約の不平等な点は、領事裁判権を認めたことと関税自主権がないこと
  • 地租改正:地価を基準に、土地の所有者が現金で納める。政府の収入が安定
  • 大日本帝国憲法は君主権の強いドイツ(プロイセン)の憲法を参考にし、天皇が主権をもつ
  • 日清戦争後の三国干渉(ロシア・ドイツ・フランス)で遼東半島を返還
  • 日露戦争後のポーツマス条約では賠償金が得られず、日比谷焼き打ち事件が起こる

問題(まず自分で解いてみよう)

  1. 1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。この条約は日本にとって不平等な条約でした。どのような点が不平等だったのか、2つ説明しなさい。
  2. 明治政府は1873年に地租改正を行いました。地租改正によって、税の納め方は江戸時代の年貢とどのように変わりましたか。また、政府にとってのよい点を説明しなさい。
  3. 1889年に発布された大日本帝国憲法は、伊藤博文らが中心となってつくりました。伊藤博文がドイツ(プロイセン)の憲法を参考にした理由を説明しなさい。
  4. 1894年に始まった日清戦争に勝った日本は、下関条約で清から遼東半島などをゆずり受けました。しかし、その後まもなく遼東半島を清に返すことになりました。その理由を、関わった国の名前を挙げて説明しなさい。
  5. 1904年に始まった日露戦争のあと、ポーツマス条約が結ばれました。この条約に対して、日本の国民の間で不満が高まり、東京では暴動が起こりました。国民が不満をもった理由を説明しなさい。

目安:1問1〜2分。解き終わったら、下の「答えと解説を見る」を開いて確かめましょう。

答えと解説

問題1

1858年、江戸幕府はアメリカと日米修好通商条約を結びました。この条約は日本にとって不平等な条約でした。どのような点が不平等だったのか、2つ説明しなさい。

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答え:1つ目は、アメリカに領事裁判権を認め、日本で罪をおかしたアメリカ人を日本の法律で裁けなかった点です。2つ目は、日本に関税自主権がなく、輸入品にかける関税を日本が自由に決められなかった点です

考え方:大老井伊直弼は、朝廷の許可を得ないまま日米修好通商条約を結び、函館・神奈川(横浜)・長崎・新潟・兵庫(神戸)を開港しました。不平等な点は、裁判と関税の2つです。

解き方:1つ目は領事裁判権(治外法権)を認めたことです。日本で罪をおかした外国人を、日本の法律ではなくその国の領事が裁きました。2つ目は関税自主権がなかったことです。輸入品にかける関税の税率を、日本が自由に決められませんでした。

よくあるミス:① 不平等な点を日米和親条約と混同するミス。日米和親条約(1854年)は下田と函館を開港した条約で、領事裁判権や関税の取り決めは日米修好通商条約です。② 関税自主権を「認めた」と書くミス。日本は関税自主権がなかったのです。

確かめ:のちに明治政府は条約改正に取り組み、陸奥宗光が領事裁判権の撤廃に、小村寿太郎が関税自主権の回復に成功しました。改正で取りもどしたものが、そのまま不平等だった2つの点に対応しています。

問題2

明治政府は1873年に地租改正を行いました。地租改正によって、税の納め方は江戸時代の年貢とどのように変わりましたか。また、政府にとってのよい点を説明しなさい。

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答え:収穫量ではなく地価を基準にして税額を決め、土地の所有者が米ではなく現金で納めるように変わりました。豊作や不作に左右されず、政府の収入が安定するようになりました

考え方:江戸時代の年貢は、その年の収穫量をもとに米で納めるのが基本でした。そのため、豊作か不作かで幕府や藩の収入が変わりました。

解き方:地租改正では、土地の所有者に地券を発行し、地価を基準に税額を決めて、土地の所有者が現金で納めるようにしました。収穫量に左右されないので、政府は毎年安定した収入を得られるようになりました。

よくあるミス:① 「収穫量に応じて現金で納める」と書くミス。基準は収穫量ではなく地価です。② 地租改正で農民の負担が大きく軽くなったと考えるミス。負担はそれまでとあまり変わらず、各地で地租改正に反対する一揆が起こり、のちに税率が引き下げられました。

確かめ:地価は毎年変わるものではないので、地価をもとにした税額も毎年ほぼ同じになります。政府の収入が安定したというよい点は、基準を地価にしたことと話がつながっています。

問題3

1889年に発布された大日本帝国憲法は、伊藤博文らが中心となってつくりました。伊藤博文がドイツ(プロイセン)の憲法を参考にした理由を説明しなさい。

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答え:ドイツの憲法は君主の権限が強い憲法だったので、天皇を中心とする国のしくみをつくるのに適していたからです

考え方:板垣退助らが民撰議院設立の建白書を出したことから自由民権運動が広がり、政府は国会を開くことを約束しました。そこで、国会を開く前に憲法をつくる必要がありました。

解き方:伊藤博文はヨーロッパで憲法を調べ、君主の権限が強いドイツ(プロイセン)の憲法を手本にしました。大日本帝国憲法では、天皇が主権をもつとされ、軍隊の指揮や条約の締結なども天皇の権限とされました。国民の権利は、法律の範囲内で認められました。

よくあるミス:① 「イギリスの議会政治を手本にした」と書くミス。議会の力が強いイギリス型の憲法を主張したのは自由民権運動の一部で、政府は君主権の強いドイツ型を選びました。② 大日本帝国憲法で主権が国民にあったと考えるミス。主権は天皇にありました。国民主権は日本国憲法の原則です。

確かめ:天皇を中心とする国をつくりたい政府にとって、君主の権限が強い憲法は手本として都合がよいものでした。天皇が主権をもつという憲法の内容と、ドイツを参考にした理由が合っています。

問題4

1894年に始まった日清戦争に勝った日本は、下関条約で清から遼東半島などをゆずり受けました。しかし、その後まもなく遼東半島を清に返すことになりました。その理由を、関わった国の名前を挙げて説明しなさい。

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答え:ロシアがドイツ・フランスとともに、遼東半島を清に返すよう日本に勧告したからです(三国干渉)。日本にはこれに対抗する力がなく、受け入れました

考え方:日清戦争は、朝鮮をめぐる日本と清の対立から起こりました。下関条約で日本は、清に朝鮮の独立を認めさせ、遼東半島・台湾などと賠償金を得ました。

解き方:中国東北部への進出をねらっていたロシアは、ドイツ・フランスとともに、遼東半島を清に返すよう日本に求めました。これを三国干渉といいます。日本はこれに対抗する力がなかったため受け入れました。このあと国内ではロシアへの反感が強まりました。

よくあるミス:① 三国干渉の3国に「イギリス」を入れるミス。三国干渉はロシア・ドイツ・フランスです。イギリスはのちに日本と日英同盟を結びました。② 返したのを「台湾」と書くミス。返したのは遼東半島で、台湾は日本が統治を続けました。

確かめ:三国干渉の中心だったロシアは、のちに遼東半島の一部を清から借りました。日本でロシアへの反感が強まり、やがて日露戦争につながったことと、話がつながっています。

問題5

1904年に始まった日露戦争のあと、ポーツマス条約が結ばれました。この条約に対して、日本の国民の間で不満が高まり、東京では暴動が起こりました。国民が不満をもった理由を説明しなさい。

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答え:国民は増税などで戦争の大きな負担にたえてきたのに、ポーツマス条約では賠償金を得られなかったからです

考え方:日露戦争は、日清戦争よりも多くの戦費と犠牲を出した戦争でした。政府は戦費をまかなうために増税を行い、国民は大きな負担を負いました。

解き方:アメリカの仲立ちで結ばれたポーツマス条約で、日本は韓国での優越権や、樺太の南半分などを得ましたが、賠償金は得られませんでした。増税などの負担にたえてきた国民は不満をもち、東京では日比谷焼き打ち事件が起こりました。

よくあるミス:① 「日本が日露戦争に負けたから」と書くミス。日本は戦いを有利に進めて講和しています。不満の原因は賠償金がなかったことです。② 下関条約とポーツマス条約を取りちがえるミス。賠償金を得たのは日清戦争の下関条約で、ポーツマス条約では得られませんでした。

確かめ:日清戦争では賠償金を得たのに、より負担の大きかった日露戦争では得られなかったので、国民の期待とのずれが大きくなりました。国民の不満が暴動にまで発展したことと話がつながっています。

近代の時期別まとめ表

時期政治・できごと社会・キーワードこの記事の問題
開国(江戸時代末)ペリー来航、日米和親条約、日米修好通商条約、大政奉還領事裁判権、関税自主権がない、尊王攘夷問題1
明治維新五箇条の御誓文、廃藩置県、学制・兵制・地租改正富国強兵、殖産興業、文明開化問題2
立憲政治の始まり自由民権運動、大日本帝国憲法の発布、帝国議会の開設板垣退助、伊藤博文、天皇主権問題3
日清戦争下関条約、三国干渉遼東半島・台湾、賠償金問題4
日露戦争日英同盟、ポーツマス条約、韓国併合、条約改正の達成日比谷焼き打ち事件、陸奥宗光、小村寿太郎問題5

迷ったときの手順

  1. まず、条約や戦争の名前と年代を並べて、どの順番のできごとかを確かめる
  2. 改革の問題は「それまで(江戸時代)」と「改革のあと」を比べて、何が変わったかを書く
  3. 条約の内容は、得たもの(領土・賠償金)と失ったもの・認めたものに分けて整理する
  4. 国民の動きは、負担と得られた結果のずれから理由を考える

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よくある質問

日米修好通商条約のどこが不平等だったのですか?

アメリカに領事裁判権を認めたことと、日本に関税自主権がなかったことの2点です。のちに陸奥宗光が領事裁判権の撤廃、小村寿太郎が関税自主権の回復に成功しました。

地租改正で何が変わりましたか?

収穫量ではなく地価を基準に税額を決め、土地の所有者が現金で納めるようになりました。政府の収入が安定するようになりました。

三国干渉とは何ですか?

日清戦争のあと、ロシアがドイツ・フランスとともに、日本が得た遼東半島を清に返すよう求めたできごとです。日本はこれを受け入れました。

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