予想問題・社会

歴史 中世の予想問題5問——武士の政治のしくみと変化を1問ずつ解説

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中世(鎌倉・室町)は中2で習う社会(歴史)の単元で、鎌倉幕府のしくみ、承久の乱と元寇、室町幕府と日明貿易、応仁の乱と戦国大名、それぞれの時代の文化が問われます(回ごとの範囲は → テスト範囲)。人物や戦いの順番を取りちがえたり、理由を説明する問題で御恩と奉公の関係を書き落としたりして点を落としやすい単元です。御恩と奉公・承久の乱・元寇・勘合貿易・下剋上の5問にしぼり、1問ずつ解説しました。

この5問でおさえるポイント
  • 御恩(将軍が領地を保護・あたえる)と奉公(御家人が命がけで戦う)は土地を仲立ちとした主従関係
  • 承久の乱(後鳥羽上皇)のあと、幕府は京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視
  • 元寇は防衛戦で新しい領地がなく、恩賞が不十分で御家人の不満が高まった
  • 足利義満の日明貿易では、勘合で正式な貿易船と倭寇を区別した
  • 応仁の乱のあと下剋上の風潮が広がり、実力で領国を治める戦国大名が登場

問題(まず自分で解いてみよう)

  1. 鎌倉幕府では、将軍と御家人が「御恩」と「奉公」の関係で結ばれていました。御恩と奉公とはそれぞれどのようなことですか。説明しなさい。
  2. 1221年、後鳥羽上皇が幕府をたおそうと兵をあげましたが、幕府軍に敗れました。この戦いを何といいますか。また、この戦いのあと、幕府が京都に置いた機関の名前と、その役割を答えなさい。
  3. 13世紀後半、元の軍が2度にわたって九州北部に攻めてきました(元寇)。幕府は元軍を退けましたが、その後、御家人の幕府への不満が高まりました。その理由を説明しなさい。
  4. 室町幕府の3代将軍足利義満は、明との貿易を始めました。この貿易では、正式な貿易船に「勘合」という合い札を持たせました。勘合を用いた目的を説明しなさい。
  5. 1467年に始まった応仁の乱のあと、各地では「下剋上」の風潮が広がりました。下剋上とはどのようなことか説明しなさい。また、このような風潮の中で、実力で領国を支配するようになった大名を何といいますか。

目安:1問1〜2分。解き終わったら、下の「答えと解説を見る」を開いて確かめましょう。

答えと解説

問題1

鎌倉幕府では、将軍と御家人が「御恩」と「奉公」の関係で結ばれていました。御恩と奉公とはそれぞれどのようなことですか。説明しなさい。

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答え:御恩は、将軍が御家人の領地を保護したり、手柄に応じて新しい領地をあたえたりすることです。奉公は、御家人が将軍に忠誠をちかい、戦いのときには命をかけて戦うことです

考え方:鎌倉幕府は、将軍と、将軍に仕える武士である御家人との結びつきで成り立っていました。土地を仲立ちとした主従関係です。

解き方:御恩は、将軍が御家人の領地を保護したり、手柄を立てた御家人に新しい領地をあたえたりすることです。奉公は、御家人が将軍に忠誠をちかい、ふだんは京都や鎌倉の警備をつとめ、戦いのときには命をかけて戦うことです。

よくあるミス:① 御恩と奉公を逆に書くミス。御恩は将軍があたえるもの、奉公は御家人がつくすものです。② 御恩を「お金をあたえること」と書くミス。鎌倉時代の御恩の中心は土地です。

確かめ:御家人は土地を守ってもらうかわりに戦いに参加します。土地をもらえる見こみがあるからこそ命がけで戦う、という関係になっていて、御恩と奉公が対になっています。

問題2

1221年、後鳥羽上皇が幕府をたおそうと兵をあげましたが、幕府軍に敗れました。この戦いを何といいますか。また、この戦いのあと、幕府が京都に置いた機関の名前と、その役割を答えなさい。

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答え:承久の乱です。幕府は京都に六波羅探題を置き、朝廷を監視し、西日本の御家人を統制しました

考え方:源氏の将軍が3代でとだえたあと、幕府の実権は執権の北条氏がにぎっていました。朝廷は、この機会に幕府をたおして政治の実権を取りもどそうとしました。

解き方:この戦いは承久の乱です。北条政子のよびかけで御家人が結束し、幕府軍が勝ちました。幕府は京都に六波羅探題を置いて朝廷を監視し、西日本の御家人を統制しました。上皇側についた貴族や武士の領地は取り上げられ、東日本の御家人にあたえられたので、幕府の力は西日本にも広がりました。

よくあるミス:① 承久の乱を起こした人物を「後醍醐天皇」と答えるミス。後醍醐天皇は鎌倉幕府をほろぼした天皇で、承久の乱は後鳥羽上皇です。② 六波羅探題の役割を「元の襲来に備えるため」と書くミス。六波羅探題は京都に置かれ、朝廷の監視が中心の役割です。

確かめ:乱のあと、幕府が京都に見張り役を置いたのは、朝廷がふたたび幕府に逆らうのを防ぐためです。上皇が兵をあげた戦いのあとの対策として、話がつながっています。

問題3

13世紀後半、元の軍が2度にわたって九州北部に攻めてきました(元寇)。幕府は元軍を退けましたが、その後、御家人の幕府への不満が高まりました。その理由を説明しなさい。

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答え:元寇は国を守るための戦いで新しい領地を得られなかったため、御家人は戦いの費用を負担したのに十分な恩賞をもらえなかったからです

考え方:御家人は、戦いで手柄を立てると御恩として新しい領地をもらえるはずでした。元寇は、執権北条時宗のときの、外国から攻めてきた敵を退ける戦いです。

解き方:元寇は防衛のための戦いだったので、勝っても敵から取り上げる新しい領地がありませんでした。御家人は戦いの費用を自分で負担したのに、十分な恩賞をもらえず、生活が苦しくなりました。幕府は徳政令を出して御家人の借金を帳消しにしようとしましたが、かえって経済が混乱し、幕府への不満が高まりました。

よくあるミス:① 「元寇で幕府が負けたから」と書くミス。幕府は元軍を退けています。不満の原因は勝敗ではなく恩賞です。② 徳政令を「御家人に土地をあたえる命令」と書くミス。徳政令は、御家人が手放した土地を取りもどさせたり、借金を帳消しにしたりする命令です。

確かめ:御恩と奉公の関係では、奉公に対して御恩があるのが前提です。命がけで戦ったのに御恩がなかったことは、御家人の不満が高まったことと話がつながっています。

問題4

室町幕府の3代将軍足利義満は、明との貿易を始めました。この貿易では、正式な貿易船に「勘合」という合い札を持たせました。勘合を用いた目的を説明しなさい。

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答え:正式な貿易船と、倭寇とよばれる海賊とを区別するためです

考え方:このころ、中国や朝鮮半島の沿岸では倭寇とよばれる海賊が活動していました。明は日本に倭寇の取りしまりを求めていました。

解き方:足利義満は倭寇を取りしまるとともに、明との貿易を始めました。正式な貿易船には勘合という合い札を持たせ、明が持つ札と照らし合わせて、正式な貿易船と倭寇を区別しました。この貿易を日明貿易(勘合貿易)といいます。

よくあるミス:① 貿易の相手国を「元」や「宋」と答えるミス。室町時代の中国は明です。② 勘合を「関税を集めるための札」と書くミス。勘合は、正式な船かどうかを確かめるための札です。

確かめ:海賊船と正式な船が同じように港に来ると、見分けがつきません。合い札を照らし合わせれば正式な船だけを受け入れられるので、倭寇を区別するという目的と合っています。

問題5

1467年に始まった応仁の乱のあと、各地では「下剋上」の風潮が広がりました。下剋上とはどのようなことか説明しなさい。また、このような風潮の中で、実力で領国を支配するようになった大名を何といいますか。

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答え:下剋上は、身分の下の者が実力で上の者に打ち勝ち、その地位をうばうことです。実力で領国を支配した大名を戦国大名といいます

考え方:応仁の乱は、8代将軍足利義政のあとつぎ問題などをめぐって、有力な守護大名が東西に分かれて京都で戦った争いです。約11年続き、京都は焼け野原になりました。

解き方:乱のあと幕府の力はおとろえ、家臣が主君をたおすなど、身分の下の者が実力で上の者に打ち勝つ風潮が広がりました。これを下剋上といいます。この中で、実力で領国を支配するようになった大名を戦国大名といい、分国法を定めて領国を治めました。

よくあるミス:① 戦国大名と守護大名を同じものと考えるミス。守護大名は幕府から任命された守護が力をのばしたもの、戦国大名は幕府の権威にたよらず実力で領国を支配した大名です。② 応仁の乱を「鎌倉幕府がほろびた戦い」と書くミス。応仁の乱は室町幕府の時代の争いです。

確かめ:幕府の力がおとろえると、身分や役職だけでは人を従わせられなくなります。実力のある者が上に立つ下剋上の風潮と、実力で領国を支配する戦国大名の登場は、話がつながっています。

中世の時代別まとめ表

時期政治・できごと社会・文化のキーワードこの記事の問題
鎌倉時代(前半)源頼朝が鎌倉幕府を開く、執権政治、承久の乱、御成敗式目御恩と奉公、守護・地頭、金剛力士像問題1・2
鎌倉時代(後半)元寇(北条時宗)、徳政令、幕府の滅亡新しい仏教(浄土宗・浄土真宗・日蓮宗・禅宗)、平家物語問題3
南北朝時代後醍醐天皇の建武の新政、足利尊氏が新しい天皇を立てる朝廷が南朝と北朝に分かれる(まとめのみ)
室町時代足利義満が南北朝を統一、日明貿易(勘合貿易)守護大名、北山文化(金閣)、惣・土一揆、座問題4
戦国時代応仁の乱(足利義政のころ)、下剋上戦国大名、分国法、東山文化(銀閣・書院造)問題5

迷ったときの手順

  1. まず、問題の人物やできごとが鎌倉か室町かを決める(将軍が源氏・北条氏の執権なら鎌倉、足利氏なら室町)
  2. 理由を聞かれたら、御恩と奉公のような「しくみ」がどう変わったかに注目する
  3. 戦いのあとの変化は「だれの力が強まったか・弱まったか」で書く
  4. 中国の国名(宋・元・明)は、日本の時代と対応させて確かめる

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よくある質問

御恩と奉公とは何ですか?

鎌倉幕府の将軍と御家人の関係です。御恩は将軍が御家人の領地を保護したり新しい領地をあたえたりすること、奉公は御家人が将軍に忠誠をちかい、戦いのときに命をかけて戦うことです。

元寇のあと、御家人が幕府に不満をもったのはなぜですか?

元寇は防衛のための戦いで新しい領地を得られず、御家人は費用を負担したのに十分な恩賞をもらえなかったからです。

勘合貿易の勘合は何のために使われましたか?

明との貿易で、正式な貿易船と倭寇とよばれる海賊とを区別するために使われました。

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